支援者の声
[ 会員として ]
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原島博さん
(大学教員)フィリピンには、日本人のお父さんと連絡が取れずにフィリピン人のお母さんと暮らす子どもたち(JFC)が増えています。フィリピンでは、このような日本につながる子どもたち(JFC)の権利が必ずしも守られているとは言えません。JFCネットワークの活動は、現地事務所「マリガヤ・ハウス」にマニラの拠点があり、フィリピン人のお母さんとJFCの子どもたちへのしっかりと寄り添える体制が作られているので、安心できます。JFCネットワークのニュースレターには、毎回、子どもたちの事例が取り上げられているので、取り組みがよくわかります。会員にはJFCネットワークの活動にいろいろな形で参加でるので、興味、関心に応じた参加方法を選ぶことができます。
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根岸伊作さん
(マーケテイングコンサルタント)フィリピンと日本の関係は500年に渡ります。現在のマニラ市パコ公園には1614年徳川家康のキリシタン禁止令によりフィリピンに追放され没したキリシタン大名高山右近の銅像が立っています。疲弊した日本の農業救済のために日本政府が奨励して農家を海外に送り出した先の最大の入植地はミンダナオ島でした。フィリピンに残された「日比残留孤児」の問題も未解決のままです。日本に暮らすたくさんのフィリピン人の母親とそのJFCの子どもたちの抱える問題は、もはや国際的に通用しない日本の法律や制度、一部の人たちの国民感情が新移住者の日本社会への同化や必要な援助を難しくしています。ロビー活動、メディアへの働きかけ、当事者のエンパワーメントなどは、個人としての力には限度がありますが、サポーターとなることで個人の力が集まり大きな力となり、不可能を可能にしていけると信じています。
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稲塚由美子さん
(ミステリー評論家・ドキュメンタリー映像制作)毎年、マニラやダバオ在住のJFCに会いに行き、ホームスティをさせてもらいます。フィリピン人女性が日本に出稼ぎに来て日本人男性と出会い、フィリピンに帰って出産後、母子がフィリピンに取り残されてしまうことがあります。経済的な困難もそうですが、「お父さんは自分を愛していたんだよね…」と問い続けるJFCの苦悩は、人間の尊厳に関わる問いかけです。できることなら「何があっても自分は自分」とJFC自身が獲得できますようにと願っています。JFCネットーワークは、そんな根源的な願いへの深い共感をベースに、一人ひとり違う状況に応じてJFC母子に寄り添います。法的支援も含め、そんなJFCネットワークのきめ細やかな支援の手法がとてもいい。今日もひとり一人のJFCの顔を思い浮かべて支援を続けます。
[ JFC奨学金サポーターとして ]
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宮内博史さん
(弁護士)2010年に初めてマリガヤハウスを訪れました。在フィリピンのJFCたちととても楽しいひとときを過ごしたのを今でも覚えています。JFCたちは、日本とフィリピン、それぞれのアイデンティティを持っていて、個性豊かで明るい子どもたちばかりでした。設立以来、JFCネットワークは、JFCたちが本来当然に受けられるべき保護や援助を確実に受け、笑顔の中で成長できるよう、精力的に活動されてこられました。その活動に敬意を表するとともに、私自身も弁護士として、JFCネットワークと連携・協力しながら、JFCの支援に携わりたいと思っています。国籍やバックグラウンドによってではなく、人であれば誰しもが尊重され、保護される社会が実現できれば、JFCのみならず、私たちの社会全体が明るくなるのではないでしょうか。