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2023.10.25
信濃毎日新聞の記事になりました♪「憲法事件を歩く」①
信濃毎日新聞の渡辺秀樹記者が取材をして下さいました。2008年に違憲判決を得た「国籍確認訴訟(国籍法3条)」の子どもたちはそれぞれの道を歩いています。****
事実婚、婚外子の増加、夫婦別姓や同性婚の要望…。近年、結婚や家族の形の多様化が進んでいる。旧来の法律や制度が対応できず、不平等を生む場合もある。
「法の下の平等」の理念は「人権の歴史において、自由とともに、個人尊重の思想に由来し、常に最高の目的とされてきた」(芦部信喜(のぶよし)著「憲法」)。第7部は、憲法を武器に不平等解消へ立ち上がった人々と司法の向き合い方を追う。
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2005年7月、東京地裁の法廷。フィリピン国籍の少女ジュリアン(名前表記は当時)が緊張した表情で裁判官たちの前に立って訴えた。
「私は日本で生まれ日本で育っています。日本の学校に通っています。小学校6年生です。毎日、楽しく学校に通っています。友達もたくさんいます。
お母さん(フィリピン国籍)は働き者です。毎日仕事に行っています。家に帰っても内職をやっています。私はお母さんが大好きです。
私たちみたいに日本で生まれ育って、お父さんも日本人なのに、なぜ日本国籍がもらえないのですか。お父さんとお母さんは結婚していません。何があったか分かりません。私は学校にいる人と変わりません。私の性格、考え方、日本人です。国籍をください」
翌06年9月、控訴審の東京高裁の法廷では、ジュリアンと同じ境遇のマサミ(同)が弱冠8歳で証言台に立った。話すことをあらかじめ紙に書いて一生懸命覚えた。
「私は学校で『外国人、外国人』と言われる時、とてもつらいです。私は自分のことを外国人だと思っていません。日本人と呼ばれたいです。皆と同じになりたいです。私の気持ちを聞いてください。私と同じ気持ちでいるたくさんの子どもたちの声を聞いてください」
この時、マサミは泣いていた記憶がある。
子どもが原告になり、法廷で意見陳述する異例の裁判。それはやがて法改正へとつながっていく。
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1980年代から日本に働きに来るフィリピン人女性が急増していた。パブなどで働く女性たちは客の日本人男性と親しくなり、両者間に生まれる子どもの数も増加した。しかし、男性が既婚だったりして女性が結婚できないケースが多かった。
国籍法は、外国人の母親と日本人の父親の間にできた子どもについて、出生後に父親が認知しても両親が結婚していないと日本国籍の取得を認めていなかった。国籍取得の要件である日本との結び付きの強さを、結婚の有無で測っていたからだ。このため日本で生まれ育ち、日本語しか話せないのに外国籍になっている子どもは当時、約5万人もいると推計されていた。ジュリアンやマサミもそうした子どもだった。
日本国籍がないと、在留資格を定期的に更新しなければならず、出入国が制限される。大人になった時に国家公務員になれないなど就職も制限されるほか参政権もないなどの不利益がある。子どもにとっては日本人と自覚しているのに日本国籍ではないというアイデンティティー(自己同一性)の問題が劣等感などを生みやすく、いじめの対象になることも少なくなかった。
マサミは東京の小学校低学年の頃、同級生の男子たちから「国へ帰れ」と言われたり、「フィリピン人、フィリピン人」とはやし立てられたりした。26歳になった今も脳裏に焼きついている。
東京の弁護士、近藤博徳(ひろのり)(60)は弁護士登録して間もない90年代初め、バングラデシュから来日して建設現場などで働いていた男性が日本人女性と結婚したもののオーバーステイ(在留期間超過)で強制送還されそうになっていた案件を担当した。当時、あまり知られていなかった在留特別許可を申請して男性を救うことができると、外国人問題の相談が多数寄せられるようになった。
その中で日本人男性との子どもを出産したものの結婚できず、養育費も払われずに困窮しているフィリピン人女性が多くいることを知る。仲間の弁護士らと父親捜しや子どもの認知、養育費請求、在留特別許可の申請に奔走した。
「これらが解決すれば法的支援としては一段落だった」と近藤。ある時、フィリピン人の母親から疑問を突きつけられる。「なぜ父親が日本人で認知もされているのに子どもの日本国籍が取れないのか」
最初は、法律で決まっているから仕方がないと考えていた。「なぜそんな法律になっているのか」という母親の訴えに気づかされた。
両親が結婚しているかどうかで、子どもが日本国籍を取得できるかが区別される理由はないはずだ。国籍法の規定は法の下の平等を定めた憲法に違反するのではないか―。
母子とともに国籍法の違憲性を問う闘いが始まった。(敬称略)